1番目の彼女と映画館で

チョコボールを彼女がつまんで俺に食べさせながら映画をよく見てました

後に海外20か国、ロンドン、ニューヨーク、パリ、ミラノ等周り、ユースホステル等で世界中の女性と話した今は、

日本女性が世界で一番無知で、中身の無い、小学生のようなアダルトチルドレンだと判明し、なんで俺が今更小学生の相手をしなきゃいけないのか、gloomy入るのですが

この頃10代後半はそうなるとは知らずもっとロックンロールしとけば良かったのに、

好奇心から酒、タバコ、女に貴重な時間使ってました。

そんな頃の思い出です。

3番目の彼女 芸の無いネーミング

なんて呼んで欲しい?と3番目の彼女が聞くので、最初の彼女に ”伸一郎君” と呼ばれてたので、”ここは一つ優作君がいいな !”と

松田優作と云う人気俳優をあてがったら

彼女 笑い出し ”それじゃ 顔そむけながら呼ばなきゃいけないじゃない ”

で、結局の呼び名が松田君 芸が無い!!!

20代前半酒、タバコ、女 、 今は全て用済みのものに関わっていた頃の思い出です。

思い出 4番目の彼女の優しい心遣い

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自分は今、完全な女性嫌いで 、というのは押し付けて来る人達が周りにいて、自分は押し付けられれば押し付けられるほど、拒絶反応を起こす性質なので、元からどっちかというと一人が好きだったのに、本当に話しても何も得るものがない、知識の無い、女性は嫌になってしまいました。おかげで性欲もなくなり、でもこれは時間の節約に非常に有難く、

更には、科学が一気に進み安価でサイボーグになれ食欲も無くなれば、もっと音楽制作、イラスト制作が出来るのにと、科学の進歩を願う毎日です。

思い出を歌に、イラストに変え、日記も書いているのですが、男性だけではなく、イラストには色んな色を使うように女性の思い出も書いてみようと思います。

4番目の彼女とバイクで広島県の宮島と云う世界遺産でもある場所に行った帰り、雨が降り始めました。

行く前から90%の雨予報で、私は止めとこうかと言ったのですが、
彼女曰く、”じゃ 10%を期待して ” と、
当時、自分と会うのが一週間で一番楽しいと彼女言っていました。

ちょいと不安で遊びに行ったのですが
案の定の雨、こういう時バイクはきついです。

ただとにかく広島市内に帰らなきゃならず、雨中走り始めました。

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3月ですが雨に打たれるとめっちゃ寒かったです。
走り始めた時後ろから
” 好きな果物は ? ” と聞くので 、苺 彼女好きなの知っていたので、
” イチゴ ! ” と答えると 、 ” 同なじ ! ” と叫び、
ちょっと和気あいあい気分でスタートしたのですが
しばらくすると寒さが骨まで染みてきて めっちゃきつくて
あー 来なきゃ良かったと思いながら走り続けました。。

市内近くでやっと雨が止み、交差点で信号待ちをしていました。
体も心も疲れ切りグターっとしていたのですが 、彼女これを察したのか突然

” また 、どっか遊びに行こうね ” とにこやかに後ろから言ってきました。

彼女 この雨でも元気だな、いや俺を元気づけようと明るく振舞ってるのか ?
とにかく、心がポンと軽くなり、
” うん ! ” と ヘルメットの頭突きを後ろにかましました。
彼女もコンコンとヘルメットを当てて来ます。ちょとの間信号待ちの交差点で
ゴンゴン頭突き合戦をやっていました。

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雨止んだことプラス彼女の気遣いで、その後の走りは楽でした。

自分は芸術の他、物理や政治の話が好きで女性と話して面白かった試しがありません。

アイルランドのダブリンのユースホステルに長居していた時、ある外国女性が
” あなたはおとなしい、もっと喋ったら ”と言うので まー 男性とは政治談議などよくしていたのですが、じゃーと思い、自分は今戦争経済の歌を書いてる、シリアの戦争についてどう思うと語り始めたら、この方一気に引いてしまい、行く所があると自分から話しかけてきたのに会話を打ち切ってしまいました。

他にも ” He hates women ” と噂話をされたことがあるのですが
嫌ってるのは女性じゃなく、話しても面白くない 中身空っぽの頭の中が小学生のようなアダルトチルドレンと関わるのが嫌なのですが、
まーとにかく私には特に国際標準語である英語喋らない日本女性はうるさいだけで、20代前半と違い、今は百害あって一利なしです。

しかし こういう思い出も少しなのですがあったりします。

思い出 バイト先で出会った気は優しくて力持ちな男の人

私はバイトは主に高時給につられ、学習塾講師を行っていたのですが、ロックンローラーなので

喉をあまり酷使するわけにもいかず、痛めたら辞めて、肉体労働をやって、治ったらまた塾講師をやるという事を繰り返していました。
この中に荷揚げのバイトと云うのがありました。
これは工事現場にひたすら木材や、コンクリートパネル(通称コンパネ)等をトラックから運び込んで行く仕事で、早く終われば半日で8000円位になったりする仕事で、ものは試しとやってみました。

木材を運ぶ現場だったのですが、ちょっと雨を吸ってていつもより重かったみたいです。
二人で行いもう一人の方は身長は私より低かったのですが、腕が私の2倍位太かったです。
自分は瘦せ型で腕も細く

このバイトはすべきでは無かったのですが時遅し
30から40Kgはあると思われる長い結束された木材の束を運んでいるうち、筋肉がバーンアウト、動かなくなってしまいました。
しかし2人しかいないので、休む訳にもいかず、自分がゆっくりとしか運べないので負担がもう一人の人に掛かり、申し訳ないなと思いながら、運んでました。

感覚的には腕立て200回やって、ガチガチに麻痺した腕で重い物を無理矢理運び続けるようなものです。

佐川急便の横乗りの助手や、日本通運の仕分けのバイト、荷物が重くても30kg位までなら、そこそこ動けて
” 今までで 最高の横乗りだった 。” とか ” 松田さんがいれば大丈夫だよ ” 等と言われた事もあったのですが 、重いのを連続で運び続けるこの時は完全な戦力外、

とうとう 生まれて初めて私は ロックンローラーであること忘れ喉を庇わずに運び始めました。

塾内で声を張り上げていた時、ピリッと来たら必ずボリュームを落とし、肉体労働現場でも喉痛かったら、悪いとは思ったのですが、極力喋らず作業して来たのですが、

この時だけは負担が相当もう一人の方に掛かっていたので、とにかく喉がカラカラになって、悲鳴を上げてても、運び続けました。

9時位から12時過ぎまでノンストップ、休憩は無いのか聞く訳にもいかず、終わった時は本当ホッとしました。

休憩所に行き、12時過ぎてたので、俺のせいで休憩始まりが遅くなって申し訳ないなと思いながら、ただ木材は全部降ろしたので、” この後は別の現場に移動ですか? ” と聞いたら、
 ” いや、これで全部終わりですよ。” と言われたのでびっくりしました。
というのはこの日は初日で、早く降ろせばそれだけ早く上がれるシステムとは知らず、
そうか、それで 普通は10時と3時にある 休憩無しだったのか、と納得しました。

天にも昇る気持ちとはこのこと!
午後からもきついだろうと覚悟していたのに12時過ぎで終わりとは !

喉を潤そうと500mlのジュースを飲んだのですが、なんと一気に入ってしまいました。
それでも足りずもう一本500mlを飲んだのですが、一気に1リットル飲んで平気だったのは
後にも先にもありません。それだけ体使ったのでしょう。

現場出る時、” 今日は 足引っ張てすいませんでした。 ” と詫びたのですが、

” いえいえ 、また よろしくお願いします。 ”  と 言ってくれました。

これは、とても嬉しく救われた気になりました。

私などは心が狭いので、 逆の立場だったら 、社交辞令でも 絶対にこのようには言わないのですが、
この人はいい人だなと思いました。
気は優しくて力持ちとはまさにこのような人のことを云うのだなと思い、新宿区の駅まで向かいました。

青空の下 荷物カバンが空気のように軽かったです。

自分的にはこの日は印象的な一日になりました。