思い出 エジプト旅行 空港までの予想外の長ーーーーい道のり

2017年ヨーロッパ一周の際、1日だけアフリカに飛び、エジプト、カイロに行きました。たった1日ですが、印象深いものになりました。

リサーチ不足で5時に閉まるの知らずピラミッド入れず

遠くからの写真のみになってしまったのですが

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まーいいか、明日は未開の地ギリシャ、その後もイタリア、スイス、フランス、スペイン、ポルトガルと控えているので、その時は相対的にエジプトのことは小さく思え、夜8時位で街徘徊を切り上げ、空港へ向かいました。しかし、このちょっとした移動が悪夢になるとはこの時点ではつゆとも思いませんでした。

朝空港から来た時は、市民バス2本で2.5x2の5エジプトポンド ( 約37円) の運賃だったので帰りも同じ額を想定していたのですが、最初の1本が3.5ポンド要求され、来た時は2.5だったと車掌に訴えたのですが、いや元々3.5だと言われ、押し問答中に後ろに座っていた女性が確かにいつも3.5だと言ったので、渋々払ったのですが、腑に落ちないものがありました。

これをきっかけにこの方とちょっと喋ったのですが、2011年の革命は日本では大ニュースだったよ、と言うと、” ほんとに ! ” と驚いてました。革命の後、何か変わったかと聞くと、” 人々が前よりお互いにケアするようになった。” との答。正直、朝からクラクションが鳴り響き、そこのけ、押しのけのカオスな道路交通を見て来た自分には内心、” えっ、これで気を遣うようになった? じゃ、前はどんだけ破茶目茶だったんだろう? ” と思ったのですが、そういうことは口にせず、そうこうするうち、終点のダウンタウンに着いて、空港行バスに乗り換えるのですが、ここで一つ問題が。

バスのフロント上部ににある生き先表示はアラビア語で書かれており、空港にどのバスが行くのか、聞かないと分かりません。信号で停まる来るバス、来るバスの運転手に エアポートに行くのか聞くのですが、一向に空港行のバスが来ません。ピラミッドに行く時はすぐに見つかったのですが、道行く人に聞いているうち、あのミニバンが行くんじゃないかと言われ、ドライバーに” 空港行くか? ” と聞いたら Yes の答、料金は2ポンドだというので、乗り込んだのですが、動き出してから3ポンド要求され、尚かつ空港まで行かず、全然知らない所で終点ということで降ろされました。これには頭にきて ” 話が違う、訴えてやる。お前の名前は ? ” と問うと、薄ら笑いを浮かべ ”Adam ” と西洋風の名を、まー偽名なのでしょう。こちらも単なる脅しで、旅行者に、エジプトの行政に訴える時間など無いのは彼らも分かっているのでしょう。かくにも、3ポンド丸損した挙句、不明な場所に降ろされ、仕方なく大通りを目指したら地下鉄のマークが !!!

そうだ ! 地下鉄があった。これなら確実に行くだろう。無事座席に腰おろし、” う~~ん最初から地下鉄乗れば良かったよーーん 。 行きは 2.5+2.5で5ポンド、帰りは3.5 + 詐欺のミニバンに3ポンド、地下鉄3ポンドで計9.5ポンドとちょいと高くついちまったけどまーいいか。” 

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歩き回って疲れた体を長椅子にぶん投げ、 ” 明日のアテネの遺跡はどんな感じだろう、旅行ガイドで見たように青空に映えてたらいいなー ”  と、ちょっとワクワクモードに入ったのですが ……..

しかし、しかし、しかし、後2駅位の所で何故か終点のアナウンスが、   ” えっ ? な、なんで ? ” 駅員に聞くと一時的にこの先は封鎖しているとのこと。 ” ま、マジ ? 国際観光都市の空港だろ ?  遮断なんかするなよ “ 心中わめいてみても、ないものはないです。またしても未知なる場所に放り出され、ワクワクモードから悄然モードに激変。さーどうしよう?

歩いて行けないことはないです。しかし、ここはエジプト、6年前には革命があった街、そして詐欺ミニバンが横行し、空港までの地下鉄が途中でぶん切られている街 …..

私は映画 ” 7月4日に生まれて” の中、トムクルーズとウイリアムダフォーが荒れ地の真ん中に放り出されたシーンを思い出していました。

” The fuckin’ sun is goes down , what do you know what the fuck comes out here ? We gotta get out of here ! ” 

” 日が暮れかかっているぞ、どんなとんでもないもの ( 強盗や猛獣でしょうか? )  が出て来るか分かってるのか ?   ここからずらからなきゃ ヤバイぞ!  ”

このようなシーンだったのですが、空港は成田同様、街外れにあります。うら寂しい道を真夜中疲れ切った体でノロノロ歩いていたら何に出くわし、何が起こるかわかったもんじゃありません。

数分前までは、問題は如何にして行きの運賃と同じ値段で空港まで帰るかという事だったのですが、今や問題は、果たして明日の朝までにエアポートに着き無事アテネ行きに乗れるのか? という事に変わってしまいました。

とうとう心が折れてしまい、タクシーに乗ることに。運賃は100ポンド。

100 !!  行きは5ポンドだったのに 100 !!

一瞬立ちくらみになりそうでした …..

といっても 750円位なので、東京でチョイと乗る分とそう変わらず、大した事はないと言えばないし、ミニバンと地下鉄の運賃も合わせて50円位でもっと大した事はないのですが、値の大小に関わらず無駄金を使うと気が滅入る性質なので一瞬呆気に取られたのですが、心身共疲れ切っていたし、値切ってヘソ曲げられて走り去られたら、次のタクシーを捕まえなきゃならず、その気力さえ萎えていたので値切る気も起きず、OK とシートに身を沈めました。

開けた窓から流れ来る風が心地良く、座っているうち体の方は元気になって来たのですが、精神の方はズタボロで内心  

 ” お前の所は観光地だろう。国際都市らしくバスの行き先は英語を混ぜて、空港までの地下鉄などちゃんと通しておけよ ! 二度と来ねーぞこんな所 ! ” 

と呪詛の言葉がうねりまくっていて、ナイル河のイルミネーションが綺麗で普通なら写真撮りまくるのですが一向にそんな気が起きず、石地蔵のように固まりながら空港に着きました。

残りの所持金見たら約30ポンド。後で思ったのですが、ピラミッドもし入れてたら50ポンド使ってたので、タクシーは80で乗らなければならない事になり、果たして値切れたものか? チョイとゾッとしました。なんでピラミッド夕方に着いたかというと、ダウンタウンから足伸ばしたナイル河の風景が前にニュースで見たものとクリソツだったので、” おお! ここがあのニュースで見た場所に違いない ” とはしゃぎまわり30分も長居して写真やヴィデオを撮りまくって

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時間ロスした挙句の体たらくだったのですが、何が幸いするか分かりません。

が、そもそも地下鉄がぶち切れている事が問題で、まー嫌なら来るなと、エジプトの方は言うのでしょうが…

しかし、何故か、日本に帰り撮った写真を整理しているうちアフリカそしてエジプトの個性がどうにも魅力的なものに思えて来てなりませんでした。  なぜなら、

プラハ

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パリ

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ミラノ

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みんなかっこいい建物なのですが、似ていると言えば似ていると言えます。しかしエジプトは

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このように街中をロバが闊歩し

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風景も独特だし , 

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ストリート グラフィティも ワンアンドオンリーという感じだからです。

観光客から小銭を掠め取ろうとする輩が一杯いる反面、素朴で親切な、いい意味擦れてない人も一杯いて、もっと話をしたら良かったなー、と今になって思ったりもします。

結局アフリカやエジプトはまた行きたい場所のトップ3に入る事になりました。危ないちゃー危ない場所なのですが。私の滞在約2カ月後に北300km位離れた街で300人以上の虐殺がありました。カイロ市内で見かけたマシンガンを持った警官の人もあどけない顔立ちだったのですが、いつでも撃つぞみたいなオーラが出ていて、後に行ったパリの空港にいたベレー帽と迷彩軍服着て同じくマシンガン抱え、目が釣り上がって臨戦モードだった軍人の人よりなんかもっと大きな切迫感みたいなものを自分は感じました。

嗚呼 でもエジプト 気になります。また行けたらなと思います。

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青春の光と影 この国では幸せは妬まれる パート1

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” 好きな事やったもんの勝ちだよ ” あるバイト先で進路に悩む生徒にある人が言った言葉。自分には真実に思えます。

2019年新宿南口で路上ライブをした時、ある人から 実際の歳より 若いねー やっぱ好きな事やってると歳取らないのかなー と言われ、多分そうなんだと思いました。色んな所で 10−20歳ぐらい若く見られます。ただ体内は結構バテてるのですが … とにかく見かけは確かに実年齢より同世代の人と比べると若く見られます。

中学の時、洋楽に取り憑かれ自分もこんなことやってみたいと恐る恐る思い、作曲の無限の楽しさに気づいてからは永遠の命が欲しいと思うようになりました。

蘇る青春 未知の世界にワクワクしながら進む時期を青春と呼ぶなら私には何度も青春が訪れています。

いわゆる普通の20代前半までの第一期 バンド、ナンパ、女遊び

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第1.5期 あなたの英語分かるよ と、バイト先のイギリス人に言われ、じゃーいっちょイギリス行ってみるか 自分がやりたいのは日本語じゃなく、英語の音楽なんだから と、金貯めて語学学校の学生ビザを取り、イギリスに1年3ヶ月滞在、最初は学校ちゃんと行って色んな国の人とも話して世界が広がりました。

第2期 偶然またも1年3ヶ月間の長期ニューヨーク、カナダ、ヨーロッパ旅行が実現、ロンドンの真ん中で路上ライブをしたり、戦争経済を各国の人と話して知り、また世界が広がりました。

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第3期 アメリカの西海岸はどんな所? 戦争経済、武器輸出に対するアメリカ人の考えは?  こういった事を知りたくて、行ったアメリカ横断旅行。宿がなくて不本意に始めたロスアンゼルスでの野宿生活が習慣化し、ニューヨークでも野宿放浪、宿に泊まっていては見れないアメリカ深夜の一部を見てまた世界が広がりました。

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第4期 イギリスの人の戦争経済に対する考えは? ロンドン、ハイドパークのスピーカーズコーナーと云う演説集会の場に行って政治談義をしてみよう。そんな思いで行ったヨーロッパ旅行。意見の一致があったものの対策はグラスルーツ運動という消極的なもので意気消沈。しかもウインブルドンテニスのため、また宿が取れず再び野宿旅行、ミラノでパスポート等盗まれ、一時難民扱いを受け、チャリティセンターで配給の食事を取りながら9日間ミラノに缶詰め。ステージのビデオやロンドン、アメリカの写真もネットにアップしていたもの以外はなくなり散々な目に。一番痛い経験でした。まさにニガーーい性春の1ページ。 救いは演説場や旅先で、行ったことのない中東やアジアの人、パレスチナ、レバノン、パキスタンの方と話してまた世界が広がったことです。またチャリティセンターで出会った人たちも、失業中か難民状態の方たちが殆どだと思うのですが、苦しい中にも明るく親切な人がいて、日本のなんとも貧相で魅力のない、なんか他人の不幸が唯一の楽しみのような顔立ちの人に囲まれている自分にとっては、世界にはこういう明るく素直な人たちもまだまだ一杯いそうだなと現実的に思わせてくれる体験でした。ネットで世界中の人とイラストや写真を通じコメントのやり取りをしても、いい人達とコミュニケートできてありがたいな、楽しいなと思うのですが、やはり目の前で実際あった出来事は強く心に残っています。酷い旅でしたが一条の光もありました。

第5期青春 人間の心、少なくとも自分の心って不思議なもので写真盗まれたことにより反骨心のようなものが心中湧き上がり 、バカ野郎こうなったら写真を新たに撮れるだけ撮ってやる 、との思いで40日でヨーロッパとエジプト20都市を周る弾丸旅行を行いました。今まで会話がメインの旅で写真はオマケだったのですがこの時は完全写真撮影優先でまだ見ぬ景色、まだ見ぬ景色を求め歩き回りました。しかし過ぎたるは及ばざるが如しとやらで、2017年9月14日スタートの旅だったのですが、ほぼ丸4年たった今となっても撮ったもの全部見ていません。自分の場合、自作の音楽ヴィデオに使おうとエッフェル塔やローマコロシアム、ギリシャ遺跡の前などで踊りまくって動画に収めておくのですが、チェックに時間がかかる故6割ぐらいしか見れてません。

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一番やりたいのは曲作りで次がイラストなので写真整理はおろそかになるのですが、それにしても4年経ってもまだ終わらないとは….

しかし、初めて行ったギリシャのアテネ、エジプトのカイロ、ポルトガルのリスボン、スゥエーデンのストックホルム、トルコのイスタンブール、ハンガリーのブダペスト、イタリアのベニス、スイスの氷河急行の各地などは大当たりで、本当に行って良かったとしみじみ思います。

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逆にもしこれらの街を見ずにくたばっていたらと思うとゾッとしたりします。

新たな色々な景色と出合いまた世界が広がりました。

第6期 青春時代

もしコロナが無かったら昨年アフリカかアメリカに行っていたのですが今の所日本に缶詰めです ….

ただ曲作りは一向に飽きないし、頭の中には100曲以上のアイデアがあって、早く実際に音にしたくて、嬉しさと美味しいものを食べすぎてゲップがでるような感覚がミックスされた日々を今過ごしています。

変拍子、転調、ポリリズム、複雑なテンションコードを使えばいくらでも新しく面白いものが作れそうな気がします。

そして、絵画の世界 !!! これは自分にとっては新たに発見された宝島で、音楽の方はもうあらかた名盤と呼ばれるものは聞いていて、1990年代半ば頃から新譜は何を聞いてもどこかで聞いたものの焼き直しに思え他人様の曲は何を聞いても全く感動しなくなってしまいました。しかし絵の方は今まで門外漢だった分まだまだ新鮮な驚きがあったりします。今年もイタリアの Futurism と云うものを初めて知り、おおおおー こんな描き方があったのかと感動し、夢中になってネットで絵を漁り見て自分でもパロって一枚描いてしまいました。

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世界35都市を周ったおかげで描きたい風景は山のようにあり

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それを離れてもいろんなアイデアが浮かんで来て、

月と太陽 困難を越えて

また自分は酒、タバコ、女は全部卒業して3つとも今は大嫌いなのですが、女遊びの思い出だけは絵の題材に使えるので4人の彼女達との思い出や他にも色々ナンパしていた時のエピソードを何か新しいアレンジをして絵に変えるのは楽しかったりします。

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影が主役の ”燃え上がる影”

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さらに青春1.5期から4期の会話中心の海外旅行もたくさんエピソードがあるので、こちらも曲作りのように全く飽きる気配がありません。

やりたい事が星の数ほどあって嬉しい悲鳴を心中上げ、昔大学の研究室に居た頃、卒業論文や実験の息抜きとは言え、わざわざ金払って雀荘に行ってマージャンで時間をドブに捨てていたのとは雲泥の差で、恵まれてるなー、幸せだなーと思うのですが、

しかし、しかし、しかし、

青春の光と影と云う言葉があるようにこの青春の日々にも影があり、自分には人の幸せを妬む、容姿を全く気に懸けない見るのがおぞましい醜悪な役人さんがまとわりついていたりします。自分にはもう上がり目がないから他人の足を引っ張ってやれ、それが唯一の楽しみみたいな、なんとも貧相で不細工な方達です。

この方達は私の自由な鳥のような生き方が余程気に入らないらしく、ミラノでパスポートと財布等盗られ、領事館に行った時にも、こちらはパスポートのコピーを提出しただけでそれ以外は何も自分のことについては言っていないのに ”あなたは今まで自由気儘に生きてきました。自由には責任が伴います。固定資産税も払ってないし ….  あなたの不手際でパスポート等盗られたのだから宿泊費は貸せません。野宿してください。” と言われ 、なんでそんな事をこの人は知っているのだろうと腑に落ちないものがありました。

これはある人が本当にそんなこと言われたんですか?と信じられないみたいな感じで驚いてましたが…

なんでパスポート取られました、番号はこれですと知らせただけで 自由気儘なる言葉が出て来るのか? 

2017年にヨーロッパに行った時も不自然極まりない事がありました。 パート2に続きます。

松田伸一郎 TOEIC 900点獲得時の勉強法 会話編の番外編

英会話が英語脳作成に有効なのは明確なので なるべく機会を活かすようにしています。パリからドーハへの飛行機に乗った時、隣に20代前半に見える中国の女性の方がおられ、色々話しました。興味深かったのが、パリの道は曲がりくねった所が多く、直線が多く分かりやすいニューヨークに比べ、 ” stupid ” だと愚痴っていた事です。ニューヨークのコピーのような建物と通りがひたすらリピートされる東京に住んでいる自分にとっては、パリやプラハのようなバラエティに富んだ風景に、ちょっと歩くたびに出会える街の方が遥かに有り難いのですが、自分はイラスト描いたりするので、便利、不便利より見た目の美しさや斬新性に敏感なのかも知れませんが…

中国は今からGDP No1になるかも知れない国です。米国との競争、共存について聞いてみたら ” Politics is a man’s job , we just would like to have some fun ” との答、西側諸国の女性の Feeling と変わらないなと思いました。

更に同じだなと思ったのが、機内食が出て来た時。

チョコレートケーキを発見 、自分の付き合った4人の彼女のうち3人はチョコ好きだったので、中国、日本、国は違えど same penchant かな、” Do you like to have my chocolate ? ” と勧めて見たら、” Yes ! Thank you ! ” と子供のようにニコニコしながら、後で食べるのかナプキンに大事に包んでたのが印象的でした。自分の過去彼女達が、映画館、ピクニック、部屋に遊びに来た時の食料買い込み、ことごとくチョコを選んでたのを鮮明に思い出し、日本の娘と変わらないなーと西洋化する中国を垣間見た気がしました。

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また以前ロンドン路上ライブをした時の写真を見せたら

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” Is this you ? Coooool ! ” とこちらも西側諸国の若者の言い方と同じで政治体制は違えど似ているところ一杯あるなと感じました。

積極的に英語を使っていたのがTOEICのスコアアップに繋がった気がします。

3番目の彼女とのトラウマ 松田伸一郎

” 松田君って あんまり自分のこと喋らないね、 もっと日頃何やってるのか話して欲しい ”

当時大学院理学研究科に属し、でも頭の中はロック音楽が鳴り響いてて、物理は面白いけど音楽の方が楽しくてしょうがなく、でも実験はマスター過程にいる以上やらなきゃいけない。

Doors のジムモリソンがかつて ”俺の人生は引き裂かれたカーテンだ ” と愚痴ったように 、 一日中音楽したいのにそれができないもどかしい日々を送ってた自分に3番目の彼女からそう尋ねられた時には

” いや 、 嫌々物理の実験をやってる毎日なんて喋りたくもないぜ ” と心の中呟いたものでした。

物理って政治、経済に比べたらメッチャ面白いのですが、音楽に比べたらメッチャつまんないんで、心の中はいつも不満原子が蜂の大群のように唸りを上げてました。

歌ってる時は幸せだったのですが

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それで喋りたくもない実験室に閉じ込められている毎日の事を聞かれたので、ふと ” なんでそんなこと聞くの ? ” と逆に尋ねたら ” 好きな人が何考えて、何やってるのかいつだって知っておきたいの ” との答。

ガクーーンと衝撃受けました。管理教育のママみたいではないか!

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ママには見えない娘だったのですが

なんか甘すぎるお菓子を無理やり食わされたようなキモさを感じ絶句してしまいました。

1番目の彼女が ”私は一人の人に絞って一直線 ! ” と真剣な目つきで宣言した時もちょっと引いてしまったように、自分はあまりベタベタしいのは苦手で、 後にある男の人に ” 教育ママみたいな事言われて参っちまいましたよ ” と言ったら ” イヤー 俺だったらそう言われたら嬉しいけどな … ” と言っていたので自分が少数派なのかも知れません。

後に別れ話の際、” このままズルズル行ったら責任取ってくれるの !?” と 言われた時には沈黙せざるを得ず、好きなんだけど結婚して金と時間を費やす程好きじゃ無い、とにかく音楽と一緒に自由に果てしなく飛んで行きたいというのが自分のスタンスで勿論それ言うわけにはいかず、何とも後味悪い最後になってしまいました。電話切った後、” 俺は一体何をやってるんだ。抱いてる時には好きだ好きだと囁いておきながら、いざ将来をせがまれたら逃げるとは… ” 自己矛盾と自己嫌悪がミックスアイスクリームのようにうねりながらその夜はいつまでもぐるぐると体と心の中廻り続けてました。

しかし懲りずに4番目の彼女の時もまたトラウマが襲い掛かることに

第一期青春時代の苦い一ページです。