松田伸一郎 思い出 一番目の彼女と大学時代、  変わるものと、変わらないもの

” 伸一郎君ってひょうひょうとしてるね、私のこと好きなのか嫌いなのか、良くわからない” 10代後半 当時自分は何より音楽が好きで、ただ多くの人が酒、タバコを好奇心から一度は試してみるように、バンド活動の合間にデートもしたりしてました。

ただあくまで酒、タバコと同じ感覚で適当だったので、たまに温度差を感じたりしてました。なんか自分はベタベタされると引いてしまう、近付いて来ると離れようとする電磁誘導のような性質があり、デートとかは楽しいのですが、生活に関すること、養うとかの話になると、自分はロックンローラー体質なのでメッチャ面倒くさくなって話をいつも反らしていました。

映画によく行きました。

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チョコレートを買い込んで、楕円形の粒を彼女がつまんで口に持ってくるのですが、こういう事をする女性は多いのか、4番目の彼女もチョコレートだの、かき氷だのを ” ハイ ア~ン” と私に食べさせるのが好きでした。

彼女は働いていて、たまに仕事の愚痴を聞かされました。自分はまだ大学生だったので、よくわからん世界だったので、適当に受け流していたのですが….

後年、ブルース-スプリングスティーンという人のジャージーガールという曲を聞いていた時こんな部分がありました。

仕事で疲れて眠り込んでる彼女

これを聴いたときに何故かこの1番目の彼女の事を思い出し、あーもっと親身に愚痴を聞いてあげればよかったなと、何故かしみじみ思いました。

この人は4人の彼女のうち一番印象薄い方なのですが、何故かこの時は、4人共仕事の愚痴は言っていたのに、この彼女のことを思い出しました。なんか人間の感情って不思議なものがあります。

しかし時というものは変わるもので、10代、20代に嗜んだ嗜好品、酒、タバコ、女は今は大嫌いになりました。女の場合は妬み深い、音楽制作の楽しさが分からない、そして想像がつかない、機械、ロボットのような人生を送っている役人達に押し付けられるので嫌になりました。もともと女のために努力するのは嫌で、金使うのもデートならいいけど養うなんて出来ません、そんな金あったら音楽に使いますという性質だったのですが押し付けられるのでマジ嫌になりました。

拒絶反応という概念の無い人生経験の無い、一生同じことを飽きもせず繰り返し続ける向上心の無い、自分のようなモノづくりの楽しさが骨の髄までしみ込んでいる人間とは真逆の役人、Public Servant という物体に囲まれ、自分は好きな音楽できて幸せなのですが、幸せはこの国では不幸せなロボットに邪魔されるのが運命のようです。

自分は独身主義者で独りの方が気楽で自由でいいので、音楽、イラスト、海外旅行に専念できる、今の状態にメッチャ満足しているのですが、4人付き合った思い出はイラストのネタになるので、大学時代遊んでて良かったなと自分的には思います。研究室の中では顰蹙を買ってましたけど ….

好きだったチョコレートも金の無駄なので食べなくなり、酒、タバコ、女は嫌になり、時の流れと共に人生は移りゆきます。

でもロックンロールや音楽制作だけは、プラス イラスト制作は 無尽蔵の金脈の如く私を虜にし続けています。

変わるものと、変わらないもの、人生はテームズ川やセーヌ川やドナウ川やモルダウ川のようにうねって流れてゆきます。

嗚呼 私の人生 !

思い出 第2期青春時代 北米とヨーロッパ旅行 アイルランド編

映画 追憶 の中でベストイヤーは? と聞くシーンがありましたが、自分にとって Best Year は今の所2011年かなと思います。初めてニューヨークを見て、初めてロンドンで路上ライブを行い、ダブリンで作曲、路上ライブ音楽漬けの日々、ユースホステルで色んな国の人と話して世界が広がりました。

ここではダブリンでの日々を書きたいのですが、この街は今は忘れ難い場所となったのですが2011年春、旅行計画を練っていたときはそんなに行きたい所ではありませんでした。ニューヨークやパリ等の方が興味深く思えていたのですが、いざ6月23日ニューヨークに行ってみると、プランは激変。楽しいことも一杯あったのですが、それより夏の旅行シーズンでユースホステルが満杯で2日ほど外で寝なければならず、1日はセントラルパークの南西59th Street の噴水のある所のベンチで地元の hobo の人の横で仮眠、もう1日は34th Street のペンシルベニア station の早朝発の高速バス待ちの乗客に紛れて仮眠、一日ごとに違うホステルに移動しなくてはならず、また一泊5000円ぐらいする所が多かったので、面倒くさくなって3ヶ月の予定を5日に短縮し、グレイハウンドなるバスでカナダのトロントに向かいました。

ここなら weekly rate があって安いし長居できるだろうと思ったのですが、今度は街自体がニューヨークの後だけあってチョットしょぼく見え、6ヶ月滞在のビザ取ったのですが、9日ぐらいでチケット買ってヨーロッパ、オランダ、アムステルダムに飛びました。

ベルギーのブリュッセルで euroline なるバスの周遊券を買い、時計回りにコペンハーゲン、ベルリン、プラハ、ウイーン、ローマと廻って行ったのですが、この頃は旅よりも音楽志向の方が強くラジオもイギリスBBC等に比べるとイマイチで言葉も分からず急に英語を使う生活が懐かしくなり、そうだダブリンに行こうと予定外だった街へ行くことにし、とりあえずマルセイユ、パリと歩を進め、飛行機でダブリンに飛びました。

8月初旬でした。まさかひと月ちょっと前の6月下旬、成田にいた時には秋までの予定のニューヨーク滞在をさっさと切り上げ真夏の8月アイルランドにいようとは思いもよらなかったので、やけに低い高さで拡がっていた真っ白な雲と眩しい青い空を見ながら、俺の人生は予測不能の不規則バウンドするラグビーボールみたいだなと、ふと思ったりしました。

ここは路上ライブが盛んで、またロンドンや東京みたいに警察が来てのかされることもない、演奏好きにはとってもナイスな街でした。私もテンプルバーという繁華街やグラモフォンストリートというショッピング通りでこんな感じで何度か歌いました。

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ダブリンはユースホステルが多く何処に長居しようか色々当たって、いいのが見つかりました。Four Courts Hostel というリーフ川沿いのもので週払いにすれば一泊1600円位で泊まれました。

ここで色々な人と出合い、色んな話をして、多様な世界観を知り、楽しいステイになりました。トータル5ヶ月以上ここに泊まらせてもらいました。

一番思い出深い人は Paddy Kerry という方でノンフィクションライターでした。ダブリンは家賃高いのでユースにいた方が安上がりということで長期滞在しながら執筆活動をされていました。当時はWikipedia でも紹介されていて、なかなかの有名人。第一次世界大戦時の秘話のノンフィクションを私の滞在中に発売されました。

ベトナム戦争にも参加されたということなので、リアルな映画として評判の”プラトーン”で描かれている事は本当か尋ねたら、” 本当の兵隊はあんな喋り方はしない、あれは商業用に馴らしてある。スタンリーキューブリックのフルメタルジャケットが近い。” との答。 善人が沢山出てくるプラトーンと違い、フルメタルの方は殆どの人が利己主義的で言葉遣いも shit , fuck の連発でなんか自分的にはあまり良い感じの映画ではなかったのですが、実際に現地に行った方の声ですから、やはり現実を知って興味深かったです。

アフガニスタンへの外国からの介入は人道的支援ではなく経済的な利益の為ではないのかと聞くと ” Yes, war is big business ” と、私はその時まで戦争というものは金がかかるものだという認識だったのですが、その時初めて、彼の口ぶりから ” えっ、そんなに儲かるの ? ” と驚いた記憶があります。その後ネットで色々調べて戦争経済というものを把握したのですが、世界中の人が平和への運動を行っていても、一方で数千億の利益を戦争を通して得る企業が存在するので、なるほど何処かで必ず戦争が起こされるようになっているのだなと、2011年の旅は世界への認識を新たにするものとなりました。

ギターをヘビィメタルが好きな人と一緒に弾いたり、スペインの人と彼の国の名曲 ” エレス、トゥー” を歌ったり楽しい思い出もあるのですが、大学時代にそこそこ楽しいことはやっているので、自分にとって新しい知識、体験がどうしても印象深くなります。そういう意味で外国の人達との会話は新鮮なものがありました。

アメリカ、テキサスから来た経済を学んでる学生の人は、もし宇宙人がこの地球を見たらなんでこんなに小さな国に世界が分けられてて、しかも争っているのか奇妙に思うだろうと、いいことを言っていたのですが、米国の拳銃所持の合法制度について問うと、” 確かに拳銃は良くない、しかし自衛の観点からいうと相手が武器を持っていたらこちらも持たなければいけないし、う~~ん… ”  と本気で悩み始めました。しまいには頭が痛くなったのか額に手をやり、顔をテーブルに近づけうなだれてしまいました。これを見て、日本はじめ多くの国では銃を持つなどとんでもないというのが常識なのに、アメリカはやはりちょっと感覚が違うなと思いました。

ちなみに後の2014年アメリカ、シカゴに行った時、コンビニの入口にこのようなステッカーが貼ってあり

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” イリノイ州では拳銃の所持が禁じられています ” との説明が … つまりOK な地域がある故のサインなのですが、こういうステッカーがコンビニに貼ってあるのは世界広しといえどアメリカだけのような気がします。

ダブリンで良かったのはトリニティカレッジという大学がグラウンドをオープンにしていて芝生の上で思い切り走り込みやダンスなどが出来たことです。都合6ヶ月の生活中、体力維持にすごく役立ちました。

パート2に続きます。