思い出 4番目の彼女の優しい心遣い

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自分は今、完全な女性嫌いで 、というのは押し付けて来る人達が周りにいて、自分は押し付けられれば押し付けられるほど、拒絶反応を起こす性質なので、元からどっちかというと一人が好きだったのに、本当に話しても何も得るものがない、知識の無い、女性は嫌になってしまいました。おかげで性欲もなくなり、でもこれは時間の節約に非常に有難く、

更には、科学が一気に進み安価でサイボーグになれ食欲も無くなれば、もっと音楽制作、イラスト制作が出来るのにと、科学の進歩を願う毎日です。

思い出を歌に、イラストに変え、日記も書いているのですが、男性だけではなく、イラストには色んな色を使うように女性の思い出も書いてみようと思います。

4番目の彼女とバイクで広島県の宮島と云う世界遺産でもある場所に行った帰り、雨が降り始めました。

行く前から90%の雨予報で、私は止めとこうかと言ったのですが、
彼女曰く、”じゃ 10%を期待して ” と、
当時、自分と会うのが一週間で一番楽しいと彼女言っていました。

ちょいと不安で遊びに行ったのですが
案の定の雨、こういう時バイクはきついです。

ただとにかく広島市内に帰らなきゃならず、雨中走り始めました。

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3月ですが雨に打たれるとめっちゃ寒かったです。
走り始めた時後ろから
” 好きな果物は ? ” と聞くので 、苺 彼女好きなの知っていたので、
” イチゴ ! ” と答えると 、 ” 同なじ ! ” と叫び、
ちょっと和気あいあい気分でスタートしたのですが
しばらくすると寒さが骨まで染みてきて めっちゃきつくて
あー 来なきゃ良かったと思いながら走り続けました。。

市内近くでやっと雨が止み、交差点で信号待ちをしていました。
体も心も疲れ切りグターっとしていたのですが 、彼女これを察したのか突然

” また 、どっか遊びに行こうね ” とにこやかに後ろから言ってきました。

彼女 この雨でも元気だな、いや俺を元気づけようと明るく振舞ってるのか ?
とにかく、心がポンと軽くなり、
” うん ! ” と ヘルメットの頭突きを後ろにかましました。
彼女もコンコンとヘルメットを当てて来ます。ちょとの間信号待ちの交差点で
ゴンゴン頭突き合戦をやっていました。

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雨止んだことプラス彼女の気遣いで、その後の走りは楽でした。

自分は芸術の他、物理や政治の話が好きで女性と話して面白かった試しがありません。

アイルランドのダブリンのユースホステルに長居していた時、ある外国女性が
” あなたはおとなしい、もっと喋ったら ”と言うので まー 男性とは政治談議などよくしていたのですが、じゃーと思い、自分は今戦争経済の歌を書いてる、シリアの戦争についてどう思うと語り始めたら、この方一気に引いてしまい、行く所があると自分から話しかけてきたのに会話を打ち切ってしまいました。

他にも ” He hates women ” と噂話をされたことがあるのですが
嫌ってるのは女性じゃなく、話しても面白くない 中身空っぽの頭の中が小学生のようなアダルトチルドレンと関わるのが嫌なのですが、
まーとにかく私には特に国際標準語である英語喋らない日本女性はうるさいだけで、20代前半と違い、今は百害あって一利なしです。

しかし こういう思い出も少しなのですがあったりします。

思い出 バイト先で出会った気は優しくて力持ちな男の人

私はバイトは主に高時給につられ、学習塾講師を行っていたのですが、ロックンローラーなので

喉をあまり酷使するわけにもいかず、痛めたら辞めて、肉体労働をやって、治ったらまた塾講師をやるという事を繰り返していました。
この中に荷揚げのバイトと云うのがありました。
これは工事現場にひたすら木材や、コンクリートパネル(通称コンパネ)等をトラックから運び込んで行く仕事で、早く終われば半日で8000円位になったりする仕事で、ものは試しとやってみました。

木材を運ぶ現場だったのですが、ちょっと雨を吸ってていつもより重かったみたいです。
二人で行いもう一人の方は身長は私より低かったのですが、腕が私の2倍位太かったです。
自分は瘦せ型で腕も細く

このバイトはすべきでは無かったのですが時遅し
30から40Kgはあると思われる長い結束された木材の束を運んでいるうち、筋肉がバーンアウト、動かなくなってしまいました。
しかし2人しかいないので、休む訳にもいかず、自分がゆっくりとしか運べないので負担がもう一人の人に掛かり、申し訳ないなと思いながら、運んでました。

感覚的には腕立て200回やって、ガチガチに麻痺した腕で重い物を無理矢理運び続けるようなものです。

佐川急便の横乗りの助手や、日本通運の仕分けのバイト、荷物が重くても30kg位までなら、そこそこ動けて
” 今までで 最高の横乗りだった 。” とか ” 松田さんがいれば大丈夫だよ ” 等と言われた事もあったのですが 、重いのを連続で運び続けるこの時は完全な戦力外、

とうとう 生まれて初めて私は ロックンローラーであること忘れ喉を庇わずに運び始めました。

塾内で声を張り上げていた時、ピリッと来たら必ずボリュームを落とし、肉体労働現場でも喉痛かったら、悪いとは思ったのですが、極力喋らず作業して来たのですが、

この時だけは負担が相当もう一人の方に掛かっていたので、とにかく喉がカラカラになって、悲鳴を上げてても、運び続けました。

9時位から12時過ぎまでノンストップ、休憩は無いのか聞く訳にもいかず、終わった時は本当ホッとしました。

休憩所に行き、12時過ぎてたので、俺のせいで休憩始まりが遅くなって申し訳ないなと思いながら、ただ木材は全部降ろしたので、” この後は別の現場に移動ですか? ” と聞いたら、
 ” いや、これで全部終わりですよ。” と言われたのでびっくりしました。
というのはこの日は初日で、早く降ろせばそれだけ早く上がれるシステムとは知らず、
そうか、それで 普通は10時と3時にある 休憩無しだったのか、と納得しました。

天にも昇る気持ちとはこのこと!
午後からもきついだろうと覚悟していたのに12時過ぎで終わりとは !

喉を潤そうと500mlのジュースを飲んだのですが、なんと一気に入ってしまいました。
それでも足りずもう一本500mlを飲んだのですが、一気に1リットル飲んで平気だったのは
後にも先にもありません。それだけ体使ったのでしょう。

現場出る時、” 今日は 足引っ張てすいませんでした。 ” と詫びたのですが、

” いえいえ 、また よろしくお願いします。 ”  と 言ってくれました。

これは、とても嬉しく救われた気になりました。

私などは心が狭いので、 逆の立場だったら 、社交辞令でも 絶対にこのようには言わないのですが、
この人はいい人だなと思いました。
気は優しくて力持ちとはまさにこのような人のことを云うのだなと思い、新宿区の駅まで向かいました。

青空の下 荷物カバンが空気のように軽かったです。

自分的にはこの日は印象的な一日になりました。

松田伸一郎 思い出 一番印象的で重たいコイン

自分は完全な子供嫌い、中身のない話をでかい声でするのでうっとうしいのです。( 性欲が無くなった今は知識、中身が子供と変わらないアダルトチルドレンの日本女性も同様です。自分が好きなのは物理学や芸術の話で接点無し、思い出だけでもう沢山、持ち金は全部、音楽、イラスト、海外旅行に使いたいです。 )

デンマークでは近寄って来た子供に空蹴りして罰金を取られ、フランスの電車内ではこれも周りをうろつく子供の親にクレームをし、他の車両に移ってもらうなど、ろくな事がありません。

最高のペットだと言う人もいたのですが、自分はその真逆で、やかましい金食い虫、百害あって一利なし、そんなもん養う養育費があったら、世界をグルグル回って海外に永住したいと思っています。

まー 関わらずに済むのであればホント助かるなと思っているクチですが、一つだけちょとした、いい感じの思い出があります。

イギリスのボーンマスという街の駅前で路上弾き語りをしていた時、3人組の 7から10歳位に見える子供達がやって来ました。なんか、何やってんだこの東洋人は?  みたいな目でこっちを見ています。子供嫌いの私は無視して歌い続けました。

彼らはいなくなり、数人の人が話しかけて来て、1ポンド (当時レートで130から170円位)くれた人もいました。

2時間以上歌っている間、例の子供達はまたやって来て、なんか敵意のあるような目で見ています。日曜日の午後、行くとこないみたいで駅周りをウロウロしているようです。そしてまたいなくなりました。

歌い疲れ、さー切り上げるかとフィニッシュし始めようとした時、またやって来ました。3回目!

とにかく無視していたのですが、なんか口論を始めました。

早口で聞き取れたのが ” Last time I – … ” だけなのですが、とにかくマジ顔でいい争そってました。何がしたいのかよくわからず茫然と見ていたら、、、、

なんとコインを投げてきて、親指を上げてニコッと笑いながら、” Very Nice . ” と言うではありませんか。

コインは最小通貨の1ペニー ( 当時レートで1.3から1.6円位 ) なのですが、子供の小遣いの中では貴重なはずで、それ故に誰が出すのか言い争いしていたのだと思います。

意外な展開で呆気に取られ ” Thank you ” とだけ言い返したのですが、後で なんで彼らにとっては貴重なお金をそのまま貰っちまったんだろう?  と、ちょっと反省しました。

日本で弾き語りした時は数百円くれる人もいたのですが、自分に取ってはこの2円未満の1ペニーが今まで手に取ったコインの中で一番印象深く、ズシリと重いコインだったりします。

松田伸一郎 思い出 2番目の彼女の部屋

2番目の彼女の特徴はアパート一人暮らしで泊まりに行けたことです。

ある夜8時頃バイクを飛ばして彼女の部屋を訪ねて、小っさい画面のTVで野球見て、トランプして、なんとかベッドの上に寝さして貰おうと色々画策しながら夜は更けて行きました。彼女の方はこの策略を知ってか知らずかいつもどうりの感じだったのですが イメージ的にはこんな感じで

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私はこの夜腹黒いジョーカーでした。後で ” ずるいよ ” と愚痴られました。

朝になってようやくベッドにもぐり込むことが出来、自分はロックンローラーでとにかく音楽が楽しくてしょうがなかったのですが、酒、タバコ、女性にも好奇心からアプローチしてみたものです。

しかし、しかし、局部の匂いには閉口しました。3番目の彼女も同じような匂いだったので女性共通なのでしょう。自分は元々刺激の強いものは苦手で、大学入学の際、新歓コンパなどでビールを先輩から勧められ飲んだのですが、マジ不味かったです。酒で旨かったのはワインとカクテルでただナンパやデートの際付き合いで飲んでただけで、酒は自分にとっては金払ってまで飲むものではなく、逆に4番目の彼女などはストレス解消になるのか彼女の方から ” 飲みに行かない ? ”と誘ってくる始末で、たまに息が酒臭くて、清潔感ゼロでこれにも閉口した思い出があります。

タバコも好奇心から吸ってはみたものの、Hopeか、Peaceか、強いのは吸えず、軽いCasterと云うのを吸ってました。でも3箱位しか吸ってないと思います。

でセックスも子供ができたら、自分の価値観では人生終わってしまうし、局部の匂いも嫌だし、金と時間をかけるものではないなと思ったので3番目の彼女とでセックスも卒業しました。4番目の彼女は部屋に来たがってたのですがセックス抜きならこちらには部屋掃除する手間がかかるだけでデメリットしかないので、” 部屋掃除してないから ”といつも断ってました。

なんでこんなくだらない事を音楽、イラスト制作で体が3つ欲しいほど忙しのに書いているかというと、日本の犬、自分の人生がこうだから他人もこうだろう、自分が暇だから他人も暇だろうと思い込んでいる、おそらく学校と職場しか人生経験のない、どれだけ音楽制作、モノ作り、海外旅行が楽しいか知ることのない、生涯黒子の役人、公務員連中がやたら家庭を持つことを勧めるので、ウザい事この上ないので、” いや、俺はもう4人も女と付き合って、酒、タバコ同様大したものじゃないとハッキリ分かっているので、もう関わりたくないですよ。音楽制作、イラスト制作の楽しみに比べたら女性との付き合い、特に日本の女性は世間知らずで戦争経済等政治の事はまるで分かってないのと、自分の好きな物理の話にもついて来れないので、世界20カ国を旅して、パリやロンドンで彫りの深い美人を見て (中身は同様カラッポです。国際標準語である英語を喋るだけチョットいいかなという気がしますが、金使って会話する程の方達には思えません。ただパリ、ロンドン歩いているとマネキンみたいな眼パッチリ、鼻高い人実際見かけます。アメリカはニューヨーク、ロス、シスコと行きましたが、雑な感じで男性に近い気がします。) 色々広い世界を見て来た身にとっては、マジ日本の女性は向上心ゼロの食って寝るだけの無知なアダルトチルドレンにしか見えず、音楽制作、イラスト制作の楽しさが骨の髄まで染みこんでいる今の自分には相対的にメチャクチャ小さく思え、単なる金食い虫に見え、そんなものに、未制作の音楽、イラストのアイデアが100曲以上、100枚以上あり、それらが頭の中でいつもグルグル回ってて、嬉しさと大変さが混じり合った状態でいつも時間に追われている私が、その貴重な、貴重な時間を使える訳などなく、海外を経験していなかった20歳の頃とは自分の中身、知識が全然違うので昔と違って私には日本の無知な女性は意味無くうるさいだけで、百害あって一利なしの存在なのですよ。” と、宣言したくて仕方なく時間勿体ないけど書いてます。まーこう云う時期もあったという事の青春の記録としてチョトだけメリットありですが、音楽作りに比べたら時間損してるなという感じです。

家庭など持って子供を20まで育てたら1500万位はかかる気がします。私ならそんな金あったらユースホステル使って海外旅行を、音楽創ったり、路上ライブしながら10年程エンジョイしたいです。

海外旅行の思い出一杯あるので書きたいのですが、

マジ体3つ欲しいです。

松田伸一郎 思い出 一番目の彼女と大学時代、  変わるものと、変わらないもの

” 伸一郎君ってひょうひょうとしてるね、私のこと好きなのか嫌いなのか、良くわからない” 10代後半 当時自分は何より音楽が好きで、ただ多くの人が酒、タバコを好奇心から一度は試してみるように、バンド活動の合間にデートもしたりしてました。

ただあくまで酒、タバコと同じ感覚で適当だったので、たまに温度差を感じたりしてました。なんか自分はベタベタされると引いてしまう、近付いて来ると離れようとする電磁誘導のような性質があり、デートとかは楽しいのですが、生活に関すること、養うとかの話になると、自分はロックンローラー体質なのでメッチャ面倒くさくなって話をいつも反らしていました。

映画によく行きました。

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チョコレートを買い込んで、楕円形の粒を彼女がつまんで口に持ってくるのですが、こういう事をする女性は多いのか、4番目の彼女もチョコレートだの、かき氷だのを ” ハイ ア~ン” と私に食べさせるのが好きでした。

彼女は働いていて、たまに仕事の愚痴を聞かされました。自分はまだ大学生だったので、よくわからん世界だったので、適当に受け流していたのですが….

後年、ブルース-スプリングスティーンという人のジャージーガールという曲を聞いていた時こんな部分がありました。

仕事で疲れて眠り込んでる彼女

これを聴いたときに何故かこの1番目の彼女の事を思い出し、あーもっと親身に愚痴を聞いてあげればよかったなと、何故かしみじみ思いました。

この人は4人の彼女のうち一番印象薄い方なのですが、何故かこの時は、4人共仕事の愚痴は言っていたのに、この彼女のことを思い出しました。なんか人間の感情って不思議なものがあります。

しかし時というものは変わるもので、10代、20代に嗜んだ嗜好品、酒、タバコ、女は今は大嫌いになりました。女の場合は妬み深い、音楽制作の楽しさが分からない、そして想像がつかない、機械、ロボットのような人生を送っている役人達に押し付けられるので嫌になりました。もともと女のために努力するのは嫌で、金使うのもデートならいいけど養うなんて出来ません、そんな金あったら音楽に使いますという性質だったのですが押し付けられるのでマジ嫌になりました。

拒絶反応という概念の無い人生経験の無い、一生同じことを飽きもせず繰り返し続ける向上心の無い、自分のようなモノづくりの楽しさが骨の髄までしみ込んでいる人間とは真逆の役人、Public Servant という物体に囲まれ、自分は好きな音楽できて幸せなのですが、幸せはこの国では不幸せなロボットに邪魔されるのが運命のようです。

自分は独身主義者で独りの方が気楽で自由でいいので、音楽、イラスト、海外旅行に専念できる、今の状態にメッチャ満足しているのですが、4人付き合った思い出はイラストのネタになるので、大学時代遊んでて良かったなと自分的には思います。研究室の中では顰蹙を買ってましたけど ….

好きだったチョコレートも金の無駄なので食べなくなり、酒、タバコ、女は嫌になり、時の流れと共に人生は移りゆきます。

でもロックンロールや音楽制作だけは、プラス イラスト制作は 無尽蔵の金脈の如く私を虜にし続けています。

変わるものと、変わらないもの、人生はテームズ川やセーヌ川やドナウ川やモルダウ川のようにうねって流れてゆきます。

嗚呼 私の人生 !

青春の光と影 この国では幸せは妬まれる パート1

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” 好きな事やったもんの勝ちだよ ” あるバイト先で進路に悩む生徒にある人が言った言葉。自分には真実に思えます。

2019年新宿南口で路上ライブをした時、ある人から 実際の歳より 若いねー やっぱ好きな事やってると歳取らないのかなー と言われ、多分そうなんだと思いました。色んな所で 10−20歳ぐらい若く見られます。ただ体内は結構バテてるのですが … とにかく見かけは確かに実年齢より同世代の人と比べると若く見られます。

中学の時、洋楽に取り憑かれ自分もこんなことやってみたいと恐る恐る思い、作曲の無限の楽しさに気づいてからは永遠の命が欲しいと思うようになりました。

蘇る青春 未知の世界にワクワクしながら進む時期を青春と呼ぶなら私には何度も青春が訪れています。

いわゆる普通の20代前半までの第一期 バンド、ナンパ、女遊び

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第1.5期 あなたの英語分かるよ と、バイト先のイギリス人に言われ、じゃーいっちょイギリス行ってみるか 自分がやりたいのは日本語じゃなく、英語の音楽なんだから と、金貯めて語学学校の学生ビザを取り、イギリスに1年3ヶ月滞在、最初は学校ちゃんと行って色んな国の人とも話して世界が広がりました。

第2期 偶然またも1年3ヶ月間の長期ニューヨーク、カナダ、ヨーロッパ旅行が実現、ロンドンの真ん中で路上ライブをしたり、戦争経済を各国の人と話して知り、また世界が広がりました。

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第3期 アメリカの西海岸はどんな所? 戦争経済、武器輸出に対するアメリカ人の考えは?  こういった事を知りたくて、行ったアメリカ横断旅行。宿がなくて不本意に始めたロスアンゼルスでの野宿生活が習慣化し、ニューヨークでも野宿放浪、宿に泊まっていては見れないアメリカ深夜の一部を見てまた世界が広がりました。

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第4期 イギリスの人の戦争経済に対する考えは? ロンドン、ハイドパークのスピーカーズコーナーと云う演説集会の場に行って政治談義をしてみよう。そんな思いで行ったヨーロッパ旅行。意見の一致があったものの対策はグラスルーツ運動という消極的なもので意気消沈。しかもウインブルドンテニスのため、また宿が取れず再び野宿旅行、ミラノでパスポート等盗まれ、一時難民扱いを受け、チャリティセンターで配給の食事を取りながら9日間ミラノに缶詰め。ステージのビデオやロンドン、アメリカの写真もネットにアップしていたもの以外はなくなり散々な目に。一番痛い経験でした。まさにニガーーい性春の1ページ。 救いは演説場や旅先で、行ったことのない中東やアジアの人、パレスチナ、レバノン、パキスタンの方と話してまた世界が広がったことです。またチャリティセンターで出会った人たちも、失業中か難民状態の方たちが殆どだと思うのですが、苦しい中にも明るく親切な人がいて、日本のなんとも貧相で魅力のない、なんか他人の不幸が唯一の楽しみのような顔立ちの人に囲まれている自分にとっては、世界にはこういう明るく素直な人たちもまだまだ一杯いそうだなと現実的に思わせてくれる体験でした。ネットで世界中の人とイラストや写真を通じコメントのやり取りをしても、いい人達とコミュニケートできてありがたいな、楽しいなと思うのですが、やはり目の前で実際あった出来事は強く心に残っています。酷い旅でしたが一条の光もありました。

第5期青春 人間の心、少なくとも自分の心って不思議なもので写真盗まれたことにより反骨心のようなものが心中湧き上がり 、バカ野郎こうなったら写真を新たに撮れるだけ撮ってやる 、との思いで40日でヨーロッパとエジプト20都市を周る弾丸旅行を行いました。今まで会話がメインの旅で写真はオマケだったのですがこの時は完全写真撮影優先でまだ見ぬ景色、まだ見ぬ景色を求め歩き回りました。しかし過ぎたるは及ばざるが如しとやらで、2017年9月14日スタートの旅だったのですが、ほぼ丸4年たった今となっても撮ったもの全部見ていません。自分の場合、自作の音楽ヴィデオに使おうとエッフェル塔やローマコロシアム、ギリシャ遺跡の前などで踊りまくって動画に収めておくのですが、チェックに時間がかかる故6割ぐらいしか見れてません。

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一番やりたいのは曲作りで次がイラストなので写真整理はおろそかになるのですが、それにしても4年経ってもまだ終わらないとは….

しかし、初めて行ったギリシャのアテネ、エジプトのカイロ、ポルトガルのリスボン、スゥエーデンのストックホルム、トルコのイスタンブール、ハンガリーのブダペスト、イタリアのベニス、スイスの氷河急行の各地などは大当たりで、本当に行って良かったとしみじみ思います。

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逆にもしこれらの街を見ずにくたばっていたらと思うとゾッとしたりします。

新たな色々な景色と出合いまた世界が広がりました。

第6期 青春時代

もしコロナが無かったら昨年アフリカかアメリカに行っていたのですが今の所日本に缶詰めです ….

ただ曲作りは一向に飽きないし、頭の中には100曲以上のアイデアがあって、早く実際に音にしたくて、嬉しさと美味しいものを食べすぎてゲップがでるような感覚がミックスされた日々を今過ごしています。

変拍子、転調、ポリリズム、複雑なテンションコードを使えばいくらでも新しく面白いものが作れそうな気がします。

そして、絵画の世界 !!! これは自分にとっては新たに発見された宝島で、音楽の方はもうあらかた名盤と呼ばれるものは聞いていて、1990年代半ば頃から新譜は何を聞いてもどこかで聞いたものの焼き直しに思え他人様の曲は何を聞いても全く感動しなくなってしまいました。しかし絵の方は今まで門外漢だった分まだまだ新鮮な驚きがあったりします。今年もイタリアの Futurism と云うものを初めて知り、おおおおー こんな描き方があったのかと感動し、夢中になってネットで絵を漁り見て自分でもパロって一枚描いてしまいました。

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世界35都市を周ったおかげで描きたい風景は山のようにあり

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それを離れてもいろんなアイデアが浮かんで来て、

月と太陽 困難を越えて

また自分は酒、タバコ、女は全部卒業して3つとも今は大嫌いなのですが、女遊びの思い出だけは絵の題材に使えるので4人の彼女達との思い出や他にも色々ナンパしていた時のエピソードを何か新しいアレンジをして絵に変えるのは楽しかったりします。

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影が主役の ”燃え上がる影”

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さらに青春1.5期から4期の会話中心の海外旅行もたくさんエピソードがあるので、こちらも曲作りのように全く飽きる気配がありません。

やりたい事が星の数ほどあって嬉しい悲鳴を心中上げ、昔大学の研究室に居た頃、卒業論文や実験の息抜きとは言え、わざわざ金払って雀荘に行ってマージャンで時間をドブに捨てていたのとは雲泥の差で、恵まれてるなー、幸せだなーと思うのですが、

しかし、しかし、しかし、

青春の光と影と云う言葉があるようにこの青春の日々にも影があり、自分には人の幸せを妬む、容姿を全く気に懸けない見るのがおぞましい醜悪な役人さんがまとわりついていたりします。自分にはもう上がり目がないから他人の足を引っ張ってやれ、それが唯一の楽しみみたいな、なんとも貧相で不細工な方達です。

この方達は私の自由な鳥のような生き方が余程気に入らないらしく、ミラノでパスポートと財布等盗られ、領事館に行った時にも、こちらはパスポートのコピーを提出しただけでそれ以外は何も自分のことについては言っていないのに ”あなたは今まで自由気儘に生きてきました。自由には責任が伴います。固定資産税も払ってないし ….  あなたの不手際でパスポート等盗られたのだから宿泊費は貸せません。野宿してください。” と言われ 、なんでそんな事をこの人は知っているのだろうと腑に落ちないものがありました。

これはある人が本当にそんなこと言われたんですか?と信じられないみたいな感じで驚いてましたが…

なんでパスポート取られました、番号はこれですと知らせただけで 自由気儘なる言葉が出て来るのか? 

2017年にヨーロッパに行った時も不自然極まりない事がありました。 パート2に続きます。